2013年10月9日水曜日

ストーリーテリングとしてのゲーム

2013/10/05 土曜日
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 私にしてみれば執筆とゲームは不可分なほど関わり合っている。だからゲーム書籍を著すことになるのは少しも驚くことではない。Advanced Dungeons & Dragonsを皮切りに、中学から様々なロールプレイング・ゲームをプレイしてきた。私はよいGMと無難なGMの間にある最大の違いの一つは、わくわくする冒険譚を話す能力だと気付いた。ゲームマスターをすることはルールを知っているだけではない――正直、この面では私は少々だらしない。私は物事を生き生きと描写し、前へ進む感覚を授けることができる方がずっと重要だと思う――ダイスをロールするときやごまかすときもある。

 例えば、プレイヤーが難題に対して頭のいいやり方を思いついたなら、台本通りに難題を解決したものよりも、成功した際に多くの報酬を得られるべきだ。キャラクターがその難題に対して映画のような戦術を進めた後にモンスターにまだ10ヒット・ポイント残っていたとしても、私はプレイヤーにそれで終わりだと告げるのが常だ。何回か殴りつけてぶっ倒すよりも多くの満足感を感じられる。

 私の文学への影響について多くの話をしよう。Harold Lamb、Leigh Brackett、Robert E. Howard、Fritz Leiber、Roger Zelazny。私は彼らやその他の作者から、ストーリーテリングについて多くを学んだ。しかし多くの実践的なストーリーテリング体験は、私が参加したゲームから得たものだ。私の小説The Desert of Soulsの主要な奇想として言及されないが、いくつものDabirとAsimの短編における邪悪なプロットは私が家で産みだしたゲーム世界のシナリオから生み出されたものだ。

 おかしな話だが、Plague of ShadowsとStalking the Beastの両方のイベントは私がやってきたゲームから持ってきたものではない――一つのシーンじゃないんだ! 私自身のキャンペーン世界にあった多くの構成要素はゴシック・ホラーの要素に影響を受け、確かに恐ろしかったがElyanaの本のようなサスペンスもあった。ゴシックを強調したことはないけど(霧に覆われたウースタラヴ / Ustalavに彼女を送ったことはない)。Elyana自身は私の妻が持つ普通のキャラクターとしての特質をいくつか持ち――彼女は野性的な思考があって、かなり頭がいい――しかしElyana自身は私のグループにいたプレイヤー・キャラクターよりももっと残酷でひがみ性だ。私達はより軽いゲームをプレイするのが好きなのだと思う――冗談ではなく。でもキャラクターが現実世界のあまりに多くの問題であっぷあっぷにならないゲームだ。ElyanaとDrelmはいくつも荷物を持っている。

 あと、私が思うに、みんなとストーリーテリングをするのと小説でストーリーテリングをするのには違う点がある。ゲームをしているとき、過去から目を離せないキャラクターや仲間の偏見を心配するキャラクターをプレイするためにキャラクターをすり減らすこともできる――少なくとも私のプレイヤーの何人かが持っていた衝撃的な仕事をいくつか持っているなら。しかし小説では、主人公の周りには複雑さがつきまとい、複雑さが説得力を生み出すのだ。

Howard Andrew Jones
Pathfinder Tales Author
Gaming as Storytelling
元記事:
http://paizo.com/paizo/blog/v5748dyo5lfc7?Gaming-as-Storytelling
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 演出重視な小説家のお話でした
 小説とTRPGは違う部分と似てる部分があって、うまく引き出して小説書いてるのかな?

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